セカオワ深瀬の病気や壮絶な過去とさおりやなかじんとの強い絆とは?

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 出典:EAT THE BASS

独自の世界観で快進撃を続ける人気バンドSEKAI NO OWARI。今までは10代、20代を中心に人気でしたが、30代以降の幅広い世代にも支持を集めつつあります。映画『クレヨンしんちゃん』の主題歌である『RPG』でセカオワが親子世代にも浸透。2014年の「JR SKISKIキャンペーン」でCMに起用された『スノーマジックファンタジー』で初のチャート1位を獲得しました。2014年の大みそかには『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たし、国民的人気バンドへの歩みを進めています。


そこで今回はセカオワ深瀬の病気を含めた壮絶な過去と、深瀬、さおり、なかじんの強い絆について見て行きたいと思います。

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先天的な発達障害で勉強が苦手だった深瀬の幼少時代

1985年東京の大田区に生まれた深瀬。先天的に発達障害があったため、じっとしていられず集中力がなく勉強は全くできない子どもでした。幼なじみというSaori(さおり)とは幼稚園の頃から出会っており、2人が関わるようになってきたのは、小学3年生頃。

深瀬

出典:ameblo

当時の深瀬は小学校の掃除当番をたびたびサボる”やんちゃ坊主”。そんな深瀬をさおりはいつも追い掛け回し、掃除の班長につきだしていました。深瀬は当時のさおりの印象について「ムカつく女だ」と思っていたと語っています。その当時はまだ深瀬とさおりがバンドを結成することになるとは夢にも思っていなかったでしょう。しかし、その後2人はその強い”縁”で深く関わるようになっていきます。

孤独な中学時代を過ごした深瀬となかじんの友情

深瀬は中学時代になると学級委員長を務めた経験がある一方で、不良男子でもありクラスメートからいじめに合うようになりました。クラスで深瀬と口をきく人は誰もいなくなりましたが、唯一幼なじみであったNakajin(なかじん)だけは深瀬と仲良く話していました。


2人が仲良くなったきっかけは「ゆず」。当時かなりのゆずファンであった深瀬は学校の上履きにゆずの絵を書いていました。それを見た同じくゆずファンのなかじんが「ゆず聞くの?」と話しかけたところから、同じ音楽の趣味をもつわかり合える仲間として、急速に仲を深めていきます。

深瀬 なかじん

(右が深瀬、左がなかじん)(出典:ameblo)

深瀬が集団リンチに合い、不登校になった時にも「深瀬がいないとつまらない」と思ったなかじんは、毎朝深瀬の家へ迎えに行っていました。

孤独な青春時代を過ごしたさおりと深瀬の仲

幼少時代からいじめられていて孤独な少女時代を過ごしていたさおり。友達もひとりもいなかったとインタビューで語っています。そんあさおりは中学生ころから少し”ヤンキー”になり始めていきます。深瀬はすでに喧嘩ばかりしている”ヤンキー”であったため、そのつながりで深瀬とさおりはまた関わりをもつようになります。

深瀬 さおり

出典:街角SONGS

さおりは当時の深瀬の印象をブログでこう話しています。

「幼稚園も小学校も中学校も同じで、家も近所の幼馴染みで、私にとってはひとつ上の ちょっと変わってる先輩。」

深瀬とさおりは恋人になっていく

深瀬とさおりは互いの孤独な生き方を分かり合えたからか、中学3年のころに付き合うようになりました。深瀬は雑誌で2人の過去の交際を明らかにしており、次のように話しています。

「中学3年生からずっと藤崎(saori)が俺の恋人でいつもふたりで一緒にいて。同じ映画だったり、同じものをふたりで見て、一緒にご飯を食べるって関係を、完全に超えていた。」

「心がひとつになりすぎて、離れた時に肉体が引き裂かれた感じ」

また、孤独でつらい時代を過ごしたさおりに対し深瀬が言った言葉を、さおりは今でも覚えています。

「お前の居場所は俺が作るから泣くな」

深瀬 さおり

出典:街角JSONGS

深瀬とさおりの間に子どもができて中絶したという噂

どんなときも一緒に過ごし、「心がひとつになりすぎる」ほどの関係だった2人。こんな2人に子どもができて中絶した過去があるのではないかという噂があります。

「幻の命」の意味深な歌詞

さおりが15歳の時に作曲して、深瀬が20歳の時に作詞したと言われる『幻の命』。ふたりが”すごく思い入れがある”というこの曲の歌詞には、まるで2人の”幻の命”となった子どもについて書いたと思えるような一節があります。

「白い病院で「死んだ」 僕達の子供は「もうこの世界にはいない」のに何で何も 感じないんだろう」

「(曲の英語歌詞)April 30, 2005 Our child became the phantom.We named “the life of phantom”, TSUKUSHI.It was a night with the red moon blazing beautifully.」

「(英語の日本語訳)2005年4月30日僕達の子どもは幻となった。僕たちは幻の命を”つくし”と名づけた。それは美しく燃えるような赤い月の夜でした。」

「(歌詞の最後)君のパパとママの歌」

さおりのブログでの心の叫び

2005年4月は深瀬がすでに20歳。中学3年から付き合い始めたならば、少なくとも20歳までは付き合っていたということでしょうか。また、さおりのブログには以前次のような書き込みがあったと言われています。

「僕の子を殺さないでよ。僕のはじめての子だよ。だからもうやめてくれ。」

現在は書き込みが削除されてしまっていますが、『幻の命』の歌詞とさおりの発言から”2人の間に子どもができ中絶した”説が根強く残っています。

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高校を中退してアメリカンスクールへ、しかし精神障害で2週間で帰国

高校に進学した深瀬であったが、中学時代にいじめにあったトラウマと精神障害が原因で高校を中退してしまいます。その後アメリカに留学してアメリカンスクールに通い始めましたが、わずか2週間でパニック障害に陥り帰国。精神病院の閉鎖病棟に入院することになります。親友のなかじんは深瀬が入院したときも、大学生で塾の講師のアルバイトしながら深瀬が入院している病院に通い勉強を教えるなど、2人の熱い友情は揺らぐことがありませんでした。


深瀬は自身の経験を活かしカウンセラーになることを目指し勉強を開始しますが、精神障害の薬が原因で自分が何を書いているのかもわからず、ひどい時には帰り道すらも忘れてしまうほどひどり副作用に悩まされていました。そのため、カウンセラーの勉強を断念。

すべてを失った深瀬。残ったのは音楽と仲間だけだった・・・。そしてセカオワ結成

セカオワ

出典:Live Freak

アメリカへの留学もカウンセラーの勉強も精神障害により挫折した深瀬。残されたものは自分が大好きな音楽とさおりやなかじんなど、信頼できる仲間だけだと気づきます。そこで深瀬はこう思い直します。

「僕の世界は終わった、ここからがスタートだ」

深瀬は親友のなかじんに「一緒にバンドをやらないか」と誘います。なかじんもすぐに賛同。さらに自分が今まで貯めていた貯金をすべて出して、ライブハウスを深瀬と作っていきます。そのとき、さおりや深瀬と高校で知り合ったDJ LOVEらも手伝い、ついにライブハウスを作り上げ、「世界の終わり」というバンドが結成されます。

「SEKAI NO OWARI」のネーミングの由来

深瀬が精神病院で入院している際に「世界の終わり」だと思ったことがバンド名の由来と言われています。バンド結成からインディーズ時代までは「世界の終わり」、メジャーデビューする際に「SEKAINO OWARI」という現在のネーミングに変更しています。さらに海外進出も本格化させているセカオワ。海外では世界の終わりを英訳した「END OF THE WORLD」として活動しています。


また、「SEKAI NO OWARI」というネーミングには、「No 終わり」で「終わらない、これが始まりである」という説や、「sekai No oWARi」で”NO WAR=戦争のない世界平和”を掛けているという説、「SEKAI NO OWARI」から「セカオワ=SEKAOWA」を抜いたら「INORI」が残るなど、さまざまな説があります。

2015年の音楽シーンの主役に踊りでるセカオワ

重い精神障害、いじめなど自身の壮絶な過去を乗り越え、セカオワを結成した深瀬。そして深瀬と運命的な縁で結ばれているさおり、なかじんをはじめとしたメンバーは今でもシェアハウスで生活もともにしています。そんな強い絆をもつセカオワは、2015年もデビュー5年を迎えたバンドとしては異例の日産スタジアムでのスタジアムライブを開催するなど、良い意味で”期待を裏切り続ける”挑戦的なバンドとして、2015年音楽シーンの主役を飾るバンドとして注目されています。今後の彼らの快進撃から目が離せません。

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